本社があるところの都会に行ってきた。普段、遊びに行く中途半端な街ではなく、本当の都会だ。そういうところには何でもある。人々が昼休みに外に出てきて、お洒落なお店でお洒落なパスタなどを食べる。

気の利いた昼食は少し高い。美味しさはそれなり。気分を買っていると考える。会話が弾む。今日も話した。

海が近くにある。でも、海は見に行かない。即物的になったかな、と考える。そもそも、そうでなかった時などあっただろうか。

公園から眺めたかもしれない海。ちょうどその対岸で建設中だった、新興の高層マンション群の辺りを歩くのが好きだった。運河といくつかの倉庫を横目に見ながら、まっすぐな道を行くと現れるスカイスクレイパー。ほとんど誰とも会わない。作ってるところだから。

あれから何年かが経った。人々が住み始めただろう。数十年のローンだ。窓の外には夕焼けと横浜港。昼に食べたパスタは、不満を感じない程度の味ではあった。そういうことを繰り返す。美しいと、立ち止まって実感するくらいの風景にも度々出会う。個別には些細なことでも。大切に思う人間とも一緒に暮らす。その人の幸福が自分にとっての幸福でもある。くっついたり離れたり、思い出したり、悲しむくらい微かな朧げな記憶になったり。誰かに話そうと思うかもしれない。もはや話す相手もいないかもしれない。それから顔にかかって普通に死ぬ。自分が入っている墓を、自分が見ることはない。

あなたに幸あれかし。