僕が前に住んでいた街には、多分普通より少しばかり頭の弱いコたちが多い。駅の近くではいまだにヤンキーとすれ違うし、桜の名所とされているところは落書きでいっぱいだ。カメラを構えても、桜よりむしろそういったものに目が向く。そのような心のありようが、どうやら世の中にはあります、驚いた。

まあ、そうは言っても10代の精神なんていうのは不分明なサルと人の中間みたいなものって気もする。いろんなタイプはあるんだろうけど。と思った。思ったというより言ってみた。みんな笑った。僕も一緒に笑ったのだけど、僕はほんの少しはそんな感覚が羨ましくないわけでもない。つまりそういう衝動的で感情的なってやつが。

僕が10代のほとんどを過ごした部屋は今では実家ってものになっている。蛍光灯が古くなっていてずっとジィィって音がしている。雰囲気でいうと、すごく弱い音のセミって感じ。とても弱い。滅多に帰らないものだから電球はきれず、もうそこを出てから何年もたつのに、いまだに音は止んでいない。別に驚くことではないけど、それでも変な感じはする。匂いは古いし、壁を撫でる手の感触に覚えはある、だけどすごく遠い。

僕はそこで最終的に衝動的で感情的ではない人生を得た。

衝動的でも感情的でもない僕たちは何度も放射線の話をした。それから何度も心のそこから笑った。いつでも、ぎりぎりなもので僕たちは傷ついて近付いていける。それは10代のころに上手にできなくて、でも必要だった気がしているものを取り戻そうとする過程なのかもしれない。ほんとうはその歳のコたちにだれかが伝えられたら良かったんだろう。でも誰が、一番すてきな時間に前後のことなんて気にするものなのか。だから僕は落書きを見てもそんなに気にならない。ちょっぴり冷静さも必要なんじゃないかなって気がするだけで。