ハルシオンを、やってはいけないと知らずに酒で飲んで、よく眠れて驚いたという話を聞いた。僕は抗不安薬を飲むと気持ちよく寝られると言ったのだけど、帰りがけに相手から心配をされた。僕にしてみれば、ハルシオンなんかに手を出すほうがよほど危ない気がする(寝られないという意味で)。でも、きっと彼には抗不安薬という響きが緊張を強いたのだろう。その感覚は少しだけれど理解できる。そこにはその人にとっての(恐らく)明確な線引きがあるのだ。

僕にはあまりそういうものがなかった。国境は目に見えて明らかな、河だったり海だったりすることもある。一方で一面の平原のどこかがそれだったりもするのだろう。もちろん全く危なくないということはない。草原のどこかから先が地雷原だということもありうる。もしくはただ、風に揺れる丈の低い、しかし密度の濃い草の中かもしれない。足下は見えない。雲間から突き出た手が、具体的に人を守ることもない(初期キリスト教での絵にするときの神のメタファーだったらしい。検索するとチェーンメールの解説ばかりヒットするけど)。

留まろうと留まるまいと、その人にとってそこがいいものなのならそれは良いことなのだと思う。というより、どこまで行ったつもりになったところで、どこかには留まらざるをえないはずなのだ。そこが良いのならばそれがいい。どこかで引っこ抜いてきたやたら長いススキを片手に持ちながら歩くのもいい。どうせ、どこまでも果てしなく行くことなんて人間にはできないのだから。