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まだ雪は降り続けている。それも想像以上のペースで。もう少ししたらすべてが埋まって、何も見えなくなりそう。家のまえに止めてある自転車の、車輪の下半分は雪に埋まってもう見えない。リチャード・ブローディガンの詩を読んで、たまに思い出したように外を眺めてタバコを吸い、そのうちに不安になってくる。希望と悲しみは表裏になっているという、そんな話をウェブで読んだ。きっと不安と喜びもそのような関係で、緑が好きなのなら赤も愛せよ、ということだ。目を閉じて反転色が浮かんでくるように。閉じたまま、もう二度と何かを見たいと思わなくなるのではないか、という恐怖を感じながら。それなのに、僕たちの殆どは大人になって、大概のことがどうにかやり過ごせるのだということを知り、知ったような気にはなり、どうにかしていないヤツはオカマかガキの類いだと思うようになる。バランスが見えない。ブコウスキーだけじゃなく、年月を経て、心のなかで村上春樹が瀕死になり、太宰治は遠くへ行ってしまった。それなのに、ジャック・ケルアックサリンジャーが依然として元気だったりして、分水嶺がどこにあるのか分からない。どうにかしていない、それを気の利いた言葉で聞きたい。あなたのそれも。俺があなたをガキだと思うこともあるだろう。同じように、例えばあなたが、俺を歪んだ性癖の見栄はりだと考える。どちらかの鼻が折られることもある。酒は夜になるほどに器用に、そういう可能性を助ける。ただ、うまくいったとしたら、それは僥倖のようなものだ。それ以外はあってもなくても大して変わらない。鼻だったら、折れたにしても、医者が棒のようなものを突っ込んで、まっすぐにしてくれる。