昨日、自分で書いた日記の意味がよく分からない。すごいと思う。覚えてはいるのだけど、前後の繋がりがなぜそうなるのか、連想のプロセスのようなものが今ではもう理解できない。自分を惑わすなんて、なかなか狙ってできるものでもないんじゃないだろうか。同じように、誰かも惑わしているのか。誰かなんているのか。喋っていてもなぜそんなことを口にしているのか、日常的な混乱だ。それを避けようとするのなら、考えてから話すという方法がある。誰だって知っている。僕だってもちろん知っている。一度考えてみると、大概のことは話さなくていいことなのだ。寡黙のからくりはこの辺りにある、たぶん。少なくとも僕は、定期的にこういうプロセスを踏む。牛がもーっと鳴いている。こっちを見やりながら。頭の中の牛が鳴き始めたら、そこが黙りどころ。もー(以下で一度、橋下が嫌いだということと僕自身のルサンチマンのことを書いたけど割愛)。