溶ける時間と手と手


東海道線が昨日の夜に脱線したらしくて、今朝もまだ運行が乱れていた。脱線するくらいの事故があったのに翌日には一応は動いていてすごいとも言えるし、まだ乱れているなんて参ったなとも言えると思う。どちらにせよ、それはそうなのだから誰かに腹を立てたり、疑問を持ったりしてもしようがないだろう。東海道線のひとはがんばってる。ただ運行が乱れると通常電車は混む。それも当たり前だし、混雑した電車のなかでみんなが窓際のほうを向くのも一般的なことだと思ってる。つまり何が言いたいかというと、今朝僕の正面に乗り合わせたおじさんは1人逆方向を向いていた。予定外だった。その前に僕がいたので、向かい合わせる形になった。恋人同士の距離だった。非常に不快だった。少しずつ体の角度を変えていく僕。触れあう手と手。一般的なんていうのは僕の頭のなかだけで形作られるものだし、誰かに完全に適用できるわけでは当然ない。ただ、すごく不快だった。それもまた、その人が女の子だったりすると感じ方が変わっただろうことは否めず、自分が不埒なような気がして迷うところはある。それとそのひとはゲイだったのじゃないかと、電車を降りてからふと考えた。午前中の大部分の時間をそれらのことで悩んでいた。悩むのはいやだ。つらい。朝会うみんなが女の人だったらいいのにと思う。僕は男だから。

仕事をしていると異動前の職場から電話がかかってくることがある。まだ僕は必要とされているのだ。もしも僕が異動して一週間のうちならば。それがけっこう嬉しいのに(いまの職場でひとりぼっちだから)、朝は眠くて返事がぶっきらぼうになってしまったりする。どうしたって朝は眠い。そういうことにも悩む。つらい。みんなが幸せだったらいいのに。そうしたら僕は悩まないだろうか。あるいは案外レゾンデートルを見出せなくなって、あたふたするるかも知れない。それならせめて、近くにいる何人かの人間を大事にしよう。そんなことを口に出して言えたらいいんだけれど、実際には朝は眠くて昼は気むずかしく、たまに夜になってふと言えたときにも、酔っているから本気にしてもらえない。生きるというのはややこしい。すごくタフじゃないといけない。村上春樹の新刊が週末に出るらしいね。彼の小説は“タフ”と“射精”と“それはそういうものなんだ”でできてると思う。すごく好きだ。

古い建物を見るのも好きだ。それはきっと、それがタフな時代を過ごしてきたからで、廃墟とかにはならずまだ何となく使われていたりするともっといい。用途は違っていてもいい。昔病院だったコンクリート作りの飾り気のないひび割れた壁の向こうには、昔同じように医者だった一家が住んでいたりするのだろうか。すごくがんばってきたのだと思う。どこかの晴れた日の午後に、時間が溶けるような日を落とすテーブルに紅茶を置いてお話をしてみたい。僕はキミみたいな人がすごく好きだと伝えたい。建物だよ。人じゃない。人は苦手。