オリコ

雨、が降っていると家の玄関先にあるオリーブ(オリコと呼んでいる)を、室内に入れたほうがいいのかどうか迷う。地中海ではどうだったのか、オリコ、と横浜の空の下で語りかける(心の中で)。でも、実を言えばウチのオリーブは、県内で挿し木とかで生まれたものなので、地中海については僕以上に知らないはずだ。ウィキペディアはそういった情報の偏在も生み出した。同じ神奈川の空の下で生まれたオリコ、地中海も知らない。それなら、とそのままにして出かけた。オリーブを育てている現在、小さい虫くらいなら素手で触れられるようになった。進化。

オリーブの名前をオリコとするのは何とも安易なような気もするけれど、川上未映子がサボテンのサボコのことを昔ブログに書いていて、その文章はすごくよかった。だからそれはそれでいいと思う。オリーブの名前を付けたのは僕ではないから、命名がそのブログの影響を受けたのでもたぶんない。ワタシに影響を与えた何かの、構成要素の影響を受けたアナタ、という図式はありえなくもない。それはそれで、想像してみれば意外にロマンチックだ。

帰ってきたときもオリーブは外にいた。雨は降り続けていた。震える葉っぱ。枯れてきた下のほうはむしっておいた。

ところで、僕はいつか、実際に地中海に行ってみたいと思っている。そのとき当然オリコは、玄関先に置いたままで出かけるだろう。地中海に面した名前も聞いたことがないような街でオリーブの塩漬けなんかを食べたりして、ホンのつかの間オリコのことを思い出す時間もあるだろう。でも、海の向こうの夕日とか、騒がしいくらいの海鳥の声とかを聞いているうちにそんなことも忘れてしまう。そして帰ってきた僕は、少しの後ろめたさを感じながらオリコに地中海の思い出を話して聞かせたりするかもしれない。「いつかキミとも行けるといいんだけどね」って。そんな日が来ないことはお互いに分かっているのに。

なんてことは、きっとまったくないだろう。

今日は「きっと」とか「たぶん」の多い日記だった。それは不明瞭な過去とか、不確定な未来のことを話題にしたがるからだろう。いつか来るその日のことを、当たり前だけど僕は知らない。こうだったらいいな、というイメージだけはいつも持ちながら、あっちをうろうろ、こっちをうろうろ。気を付けろ。街では熊(比喩的な)が出るぞ!でも、その熊は意外にいいヤツなんだ。