木を見るためにランニングをしてる、と言おう

年休をとってトレーニングをしてた。なぜか。それは最近、太るようになったから。あと、やっぱり少しは筋肉とか欲しいよね。

近所の公園をぐるぐる回って5kmくらい走る。タイムは30分くらい。これが早いのかどうかはよく分からないけど、知り合いなんかは同じペースで40km走っちゃうのか、と思うと目が回りそう。40周くらいする計算。

公園の真ん中は芝生の広場になっていて、中央辺りに5,6本、木が生えている。他が一面の芝生だから、ふと見ると唐突な感じがする、楽しい。そんなところが北海道とかにある。CMで見た、多分。それのスケールが小さい感じだ。自分のいる場所と木との位置関係で(つまり角度で)、木は一直線に並んでいたり、横並びだったり、こんもりして見えるときもあるし、規則正しく見えることもある。そんなことを考えているときはもう少しだけ、と頑張れる。それ以外の時間は辛い。運動なんてほとんどしないで今日まで過ごしてきたから。

夕方になってから隣町(一昨日書いたケバブの街と反対側の)のビデオ屋で「千と千尋の神隠し」を借りてきた。僕はこの映画の電車に乗っているシーンがとりわけ好きで、そこだけでも何度も何度も繰り返し観たいくらい。特に踏み切りのシーン。見返してみると2秒くらいの演出で、強い印象から考えると驚くくらい短い場面だった。それが、いつの間にか頭のなかで膨らんでいたのだろう。

とてもキレイな踏切だった。感銘を受けたものを言葉で説明するのは難しい。言葉は思考で感覚とは別の世界のものだから。だから、好きなものや心に染みついて離れないものなんかが、一緒だったりすると、それはとても珍しくて、大事にしてみてもいいんじゃないかと思う。