弘前

弘前に行ってきた。金木にも行った。今回で2度目だった。何度目と言わず毎年行ってもいい。

もしあなたが太宰を好きで、これから弘前に行くつもりがあるのなら、金木にある「斜陽館」と「新座敷」、弘前にある「学びの家」にはぜひ行くといい。近くにある芦野公園にも太宰関連のスポットがある。芦野公園駅にある喫茶店からは入場券を買って駅構内に入れたはず。電車なんてめったに来ないし、ベンチに座って足でも投げ出していると心からのんびりした気持ちになれる駅だった。

弘前城の高台からベンチに座って、夕暮れの岩木山を眺めているとそのまま夜までいようかという気持ちになる。飛行機雲を探す。今まさにできつつあるそれが空中に流れて消えるまでは、何もしないでじっとしていようと思う。

10年以上前、「人間失格」をはじめて読んで衝撃を受けた。狂ってると思った。そういうものに心底から憧れた。今だってあまり変わらない。尊いもののはずだ。その頃に女鳥羽川を欄干から見下ろしながら、自分が10年後も生きているのを想像できないと考えたことは覚えている。けれど生きていた。そんなに変わってもいない。

僕はあの時、自分のキャラクターをどこかで変えないと生きていくのは難しいと思っていた。一方でそういう変化は想像しにくい。ビールを飲んで陽気になる未来の自分を思い描ける10代の人間がどのくらいいるのだろう。まして、それを肯定的に捉えるなんて。つまりは思春期だった。

女鳥羽川は流量の少ない川だった。冬になると一部が凍ってしまう。極端な寒さに清廉を連想する。苦悩と生活上の美しさは交換できる関係にあると感じていた。

10年以上が経ったあとの過日、僕は岩木山にかかる雲が橙に染まるのを待っていた。それなりの時間だ。そういう時には感傷がある。10年以上が経っている。泣けるような気がする。でも泣いても意味がない。だからビールを飲む。陽気でいることが、自分と自分以外の人を幸せにするはずだと、いつか信じるようになった。