2006

出張、からの直帰。夕方がはじまったばかりの商店街を通りぬけて帰ってきた。家でパソコンをいじっていたら、昔書いていた日記が出てきたから読んでみた。意外に楽しい。想像するほど恥ずかしいものでもないし、懐かしい。そう、確かにそういうときはあった、と。2006年。ADSLの全盛期。子ども達はまわりの世界への不満を持ちながら、どこかで自分こそがそれを変えることができると期待してる。期待だった。だから、一方にあるメランコリーにも親しめた。

2006年に何があったのだろうと思った。僕が書いていた日記には、その日に何があったのか殆どひとつも出てこない。その手の疑問にはまったく役に立たなかった。Wikipediaで調べてみたら一通りの主な出来ごとがでてきたけれど、いずれにしても大したことは起こっていなかった。月が地球に急接近してきたり、インド亜大陸がユーラシア陸塊から分離をはじめたりはしていなかった。イラクセルビアの人が何人かは不幸になっていたかもしれない。でも、そんなことは今だって起こっていることだ。そしてすぐに忘れられる。2006年がある日消えてしまったところで、どれだけの人が気がつくだろう。

僕は今、普遍的なかたちで過去に言及したのではないかと思う。いかがだろうか。当然、思い出せれば満足だってある。懐かしくもある。暖かみを感じるし、過ぎたことへの親しみもある。すべては思い出せるかどうかにかかっている。いずれにしても、土の下から思い出すことはできなくなるのだから。


読んだ本:スローターハウス5、猫のゆりかご、走れメロス、ナラ・レポート、東ゴート興亡史