夕方

夕方、目の前の風景が均一になっていってコンビニの前の喫煙スペースでタバコを吸っていた頃、坂のうえに古い木造の家があることに気がついた。自分には家の造りに好みがあって、感心するような家を見かけたときには得をした気持ちになるのに、いつも前か下しか見ずに歩いているからなかなか見つけられない。そういうことがあった。古くて、洋風なような和風なような、ぱっと見ただけでは分からない家が好きだ。

それで街が溶けていって、坂のうえなんかになるともう遠近感さえバラバラで、遠くのものが近くに見えたりする。どこにあるのかがどうでも良くなる。どうせ分からないのだから。車が登っていく。機械でさえ無理をしているみたいに見える。

家に帰って、ドアを開けた瞬間に夕日の印象はぜんぶ無くなる。現実感がまったく無かったから。

僕はだから今、記憶の底の残滓みたいなものによって書いている。

本当は家も車も無かったのかもしれない。夕方、今までのすべての物事を均一な風景のなかで見た気がする。確実に存在したと言えることだけを目の前に並べるのはすごく難しい。いろんな液体とか金属とかを溶かしていって、黄金を取り出そうとしているみたいだ。

風が吹き込んできて揺れていたカーテン、遠くを走っていく電車の音(なぜその時だけ聞こえたのか)、冬のはじめの石油ストーブ。

幻想をたくさん食べて生きる。幻想は食べても食べても腹が膨れず、かえってもっと欲しくなってそのうちに幻想が幻想を生み出すようになる。その種の幻想はもう土台をもつ必要がない。もしくは幻想は別の幻想を土台にしている。連想ゲームみたいなものだから、はじめにあったものとは確実に何かの関係は持っている。それなら、そのことに安心してしまおうか。

近くで見た遠ざかっていくもの。貨物電車、が遠くに過ぎていって、とうとう靄で見渡せなくなった辺りをあとから車が横断していく。

そういうことは、本当はあったのだろうか。