起きたら昼の2時。前はそういうことがあると、またやってしまったという失望感に襲われたものだけど、大人になってみると、ああ久しぶりだな、この感じ、と余裕のある心境。万事に幅があって、つまり鈍感になり、ほとんどのことを深刻に捉えない。ティーンエイジ・スピリットは深夜の帷子川に流れていった。ニルヴァーナの人は死んだけど、俺は生きてた。ラッキーだ。


ユーチューブで野性爆弾の動画を探して見ていたら夜になった。都会に憧れていた自分は今、都会に住んでいる。電車に乗って、ちょっと目をつぶっていると横浜に着く。憧れてた、そういうのに。横浜に着いてもやることはなかった。コーヒーを2缶飲んだ。それからミクシイを開いて、前に読んでた他人の日記とかを開いてみて、いま見てもけっこう面白いものだな、とか考えていたら、船が出航の汽笛みたいなものを鳴らし、それが想像以上に大きくてびっくりした。数十分に1回鳴って、その度にびっくりする。背後では楽しそうな笑い声。


周りで人々が楽しそうにしているのは、今でも精神にくる。それが確認できてよかった。太平洋にひとりぼっち、というか帷子川のうえの橋。もし、サルベージなどする力が自分にあり、あの日の精神を取り戻せたら、寂しくなんかないんだ、と自分の内的な心境を偽り、酒に逃げ、コンビニで買うビール代ばかりがかさんだだろう。


この歳になって、横浜そごうの前の広場のベンチに座りビールを飲んでいると、本物っぽいからやめた。なんの本物なのかは分からないけれど。ダイヤモンドはデビアスみたいな(調べた)。それの惨めな方の。今は帰ってきたから、段ボールから氷結を出してきて飲んでる。氷結はうまい。なにか別のものも帷子川に流れていった。


そごうに向かう途中の橋から道を見下ろして、あれが首都高、車が走ってる、都会だな、とか考えていたけど、首都高は高架だから、あれは別の道、たぶん国道1号とかだろう。勘違いで満足していた。満足していて、別にそれでもいい。都会はいい。いま見てもいい。あの頃、日記を書いていた、面白い人たちは何しているのだろう。見られる気遣いがない、というのはいいんだけど。見てみて、あれが首都高速、に見えなくもない国道。一人だったから誰にも伝えられなかったことを今。