すべては習慣、例外を除いては

今日は何もなかった、というのは簡単で、習慣化という恐ろしい能力が毎日を希薄してほとんどのことが印象に残らないだけ、とも言えるような。隣の席の先輩が日々、昼食においしそうなものを食べているので、今度僕にも買ってきてくださいよ、と言っていたら本当に買ってきてくれた。柿の葉寿司というものを食べた。おいしかった。習慣化されたおいしさ。

家の中をアリが歩いている。気がつかないといないけど、ふとしたときに見かける。ティッシュペーパー越しに潰すとしばらくクルクル動いている。そのうちに歩き出しそうにも見える。くるんで捨てるのはあまり慣れない。アリはなぜいる。なぜ、家の中にいるのだろう。鉢植えを室外に、出したり入れたりするからなのだろうか。

習慣化された日々の中で生きている。たまにアリがいたり、怒りっぽい人に会ったりしてびっくりすることはあっても、恒常性の強い引力みたいなものに引っ張られて、すべてのものがいつの間にか元あった場所に戻っている。

元あったものはとても綺麗な世界。川沿いの街路樹は夕暮れになると葉が影になって、モノトーンの彫刻みたいだし、夜になるのが惜しいと思ってはいても、なってみれば幹線道路をたまに車の走る音がサアッと、それを聞いていると時間は早く過ぎる。布団は暖かい、朝は眩しい。そうして、たまにはアリがいる。柿の葉寿司がおいかったりもする。離れてみるのも、試してみれば概ねいいものだということは分かっている。戻る道を見失うようなことさえなければほとんど問題はない。だから君はパンの耳を持って、歩いていく道の目印にするために。