村上さんのところ

村上さんのところ

今年の初めころ、村上春樹が期間限定でサイトを開設していて、そこで読者からの質問に答えていた。その書籍化。なにかの小説のなかで、「どんな髭剃りにも哲学がある」などと書いていたような記憶があるけれど、その哲学を一個一個の回答から感じさせる、すごい本だと思う。たまに質問に答えないのが愛嬌。

酒を飲んで電車に乗り、そのまま帰るのも勿体無いような気がして、一緒だった後輩と海に行った。ビールを持って行った。僕は酒を飲むとだいたい、そういう気分になる。まっすぐに帰れないし、適度に飲む、というのがどういうことかもよく分かっていない。海は波が寄せてる手元はまっ暗だけど、遠くの方には明かりなんかが見える。熱海とか小田原辺りなのだと思う。椅子がなかった。当たり前だ。消波ブロックの、割と地面に平行なのを探して座り、ビールを開けて飲んだ。流木があった。焚き火をしようという話になって、小枝とかを拾い、火をつけてもなかなか燃え上がらない。小雨が降っていたし、木も全体に湿っていたから。1時間くらいかけて、ようやく軌道に乗った感じの焚き火になった。火の粉がすごい。木が湿っているからだろうか。買ったばかりのスーツに穴が空いたら嫌だな、などと思う。なんだか、焚き火に合わない感じ方だ。燃え上がる。もっと木が欲しかった。もっと木があれば、燃え上がる火には満足するけれど、明け方まで火は消えず、ますます帰れなくなるだろう。新しい木を探すことはしなかった。酔っていたのだ。それと時間がなかった。思いついたすべてをすることはできない。眠たくなるし、朝はやってきてしまう。雨が強くなってくる。

ここ何日間か、他人のした不始末を、職場として取りまとめ、代わりに謝るような仕事をしている。いつの間にか、仕事の範囲内として謝れるようになっていた。本質的に自分の問題ではないものとして。そうすると割に働きやすいので、前ほどは仕事に行くのも嫌でもない。トラブルが多いので明日の年休も取り消した。それでも金があれば1秒たりとも働かないだろう。メキシコの、どっかの海岸線沿いに家を用意する。毎日マリファナが届く。酒はテキーラ。正直、テキーラはあんまり得意じゃないんだけど、そこは土地に敬意を表してもいいかな、とも思う。隣にいる綺麗な女の子はスタイルも抜群だ。誰かがいるときは陽気な音楽をかけるのもいい。それは遠くまで聞こえる。夕焼け、というかサンセット。波。必要なもの、すべては金の一事。

調べてみたらブラジル映画だった「シティ・オブ・ゴッド」を観た。ファヴェーラ(スラム)のなかの話なので、人がバンバン死ぬ。そこにはカタルシスがある。無意味に死んでいく人間の、社会的な背景や、それまでの生活が精彩をもって描かれていると、かえってその無意味さが悲劇になる。死ねば死ぬほどいいけれど、全員が死んでも案外弛緩するので、何人かは生き残るのも可。

死ねば死ぬほどいいなんて、恐ろしいことを書いてしまった。

「エレファント」なんかも、その類の映画だった気がする。銃乱射の、クライマックス付近で、高校生が撃たれて死んでいくシーンで得るカタルシス。心が浄化されていくよう。僕は今、言葉の定義に引っ張られてしまっているのだろうか。「ガンツ」もそうかも知れない。あれは最後どうなったのか。

映画はhuluで探してきて観ました。「パルプ・フィクション」などもあった。ジョン・トラボルタのダンスを見るのもいいかもしれない。サタデー・ナイト・フィーバー(水曜日)

太るようになってきたので、たまに走っている。太る、と言っても、今はまだうっすら、ベルトの穴が一つ変わる、くらいのものなのだけど、こういうのを放っておくといつか後戻りできなくなるような気がして、そしてきっとそれは間違いではない。間違いではないと思いたい。走るのは辛い。爽やかな運動後の空気とかは自分にはない。夜は、本を読んで、氷結でも飲んでいたい。


運動の記録には、ログが欲しいので、"Runtastic"というアイフォンのアプリを使っている。5kmを30分くらいのペース。大変に穏健。ログを辿ってみると、3ヶ月くらい、今のペースで走っているようだった。正直に言うと、もっと速くなりない。ただ、その前に、太らなくなったらやめる。走ったりなんか二度としない。

横浜に行きました。僕は今、田舎に住んでる。少し前まで住んでいた横浜は、久しぶりに行くと、もう、どこかの都会だった。何年も住んでいたのに結局、あまり慣れなかった。横浜駅を見上げると都会に来たな、と思う。田舎にもまだ完全には馴染んでいない。一時的に居場所を失った。

横浜では、シップスに直しを頼んでいたスーツを受け取って、すぐにすることがなくなった。だけど、すぐに帰るのももったいなくて、その辺をフラフラしたり、立ち止まってみたりした。スマホを取り出す。待ち合わせなどがあるようなフリをする。本当はない。その行為には、本質的な意味はない。

僕がストックしている横浜の立ち止まれる場所は下のようなところです。


・そごうとマルイの間の2階にあるスペース。椅子っぽいものがある。
・相鉄改札のある西口の交番のあたり。待ち合わせスポットで、人が多くて楽しい。
・ビブレの前。川がある。立ち止まる場所があまりない。
ハマボウルの前。川沿いは座れる。
ヨドバシカメラの前。座れるところがある。
・ベイクオーターの先、道路の向こうの川沿い。ベンチなどがある。


他にもあるのだと思う。そういうことを想像すると不思議な気持ちになる。僕は僕の知っているところにいる。

残暑、と言えるのかどうかくらいの暑さ

お盆を過ぎると涼しくなる、と言う。実際に涼しくなってきている気もする。微妙な差のようでいて、確かにそこにあるような。でも、それは、僕たちが見たいと思うものを見ているだけなのかもしれない。今年も暑かったですね。